文章を書くって、とてもめんどくさいものです。
自分は特に、そう感じてしまう方の人間です。
たぶん「良いテキストを書く人 = かっこいい」という方程式が自分の中にあるのでしょう。
自意識が邪魔をして、なんでもないことを書くだけでも気を張ってしまう。
さらに、最近はAIがとても優秀なので、余計に「書く」という行為のコストパフォーマンスの悪さが際立ちます。
完璧とは言わないまでも、結構きれいな文章を高速で出力してくれる。
あのスピードを見ていると、なんだか「自分自身がすごいことをしている気分」になってしまう。一度体験してしまうと、自分で一文字ずつ書いていくことを、余計に億劫に感じるようになる。
(AI以前より、文字を書くのがめんどくさくなってる人って、結構いるんじゃないかな)
でも、最近「文章は、「転」。(著 : 近藤 康太郎)」という本を読んで、非常に感銘を受けたんです。
文章を書くということは、考えることである。
起承転結の「承」までで、書きたい全てを書く。
すると、書きはじめる前には思いもしなかった「転」が、自然に立ちあらわれる。
人がものを書く本当の目的は、こうして生まれてくる「転」を見出すことにこそあるんだ、と、そこにはありました。
確かに、自分も文章を書くことで、新たな結論に至った経験がたくさんあります。
音のリズム、単語のリズム、そういったものが自然に立ち上がってくるときがある。むしろ、流れが生まれるように、その瞬間に向けて、言葉を積み上げているようなところすらある。
文字が思考の先を行く。目的と手段が入れ替わる。うまくフローに入れると、新たな言葉が、軽快なリズムとともに、新たな結論を運んでくる。
そうか、はるか昔から、人は言葉で思考してきたんだ。言葉とは思考である。言葉が数々の発明を生み出し、だからこそ人類はここまで発展した。そんな太古からの血が、いまも脳を巡っている。
文章を書くということが、人類が紡いできた言葉というものが持つ魔術的な力を引き出して、私自身を思いも寄らないところへ連れていくための儀式なのだとしたら。
それってAIで書くこととは、目的が全く違う行為だなと思います。
書くということ。
その目的が「考えること」なのだとしたら。
書くことをAIに任せることで、考える機会を失っていたのかもしれない。そう考えて、途端に怖くなったのです。
たとえば、コードを書くというのも同じなのかもしれません。
自身の手で書くからこそ、いや、こっちのほうが効率的なのではないか、拡張性があるのではないかと、記述を通して思考できる。
ときに自分の設計に惚れ惚れしちゃったりなんかしながら、エンジニアとしての強みを自己認識したりしている。
プログラムが動いてできた成果物より、そのときの思考の方にこそ、本来の価値があるのかもしれない。
あるいは、愛の言葉を紡ぐこと。
それによって得られた結果より、過程こそが尊い。
紡ぐことそのものによって、生かされている。
そんな実感が確かにあったことを、自分の人生を振り返って、ふと思い出したのです。
言葉の持つ力を、もっと信じて活かしていくべきなのではないか。
そうしなければ、大切なことを見失ってしまうのではないか。
夏の暑い日に、アイスラテの氷が溶けていくように、少しずつ、ゆるやかに、日々が薄まってしまうのではないか。
この魔法を、忘れてはいけないのではないか。
そんなことを考えながら、2026年、自分のテーマを「書く」にしてみることにしました。
社内向けに、1年間限定で、毎営業日の更新を目指してみます。
これまで私が考えてきたこと、インプットしてきたこと、導き出してきた方程式を、できるだけ読みやすくまとめることで、みなさんに具体的かつ実用的なメソッドを届けられたらと思っています。
URLは外部公開されていますし、コンフィデンシャルな情報も書きませんが、社内の人が読んだときに具体的な学びに繋がり、今日一日にきちんと活かせる内容にしていく所存です。
もしよろしければ、お付き合いいただけるとうれしいです。